2018/02/14

日本を出て丸々4年…ってことは今年はワールドカップイヤー!!



6/11。エティハド航空機内にて。ブラジルのサンパウロへ。


「2年で帰国する予定です。」と家族に告げては2014年6月11日のフライトでブラジルのサンパウロに渡ったものの、日本に帰ることなく4年が経過しようとしている。

「自転車で南米を走破し、アフリカ大陸からヨーロッパに渡りシルクロードな感じに日本まで。」

しかし、この4年間南米から殆ど出ることもなく、今となってはその南米エクアドルに暮らそうとしているのだから大きな決断をしたもんである。


ところであれから4年そうブラジルW杯から4年。あれま今年2018年はロシアW杯じゃないか。
窪寺家の海外生活も記念すべき?4周年がもうすぐという今回は、これまでの旅路を総括…とかではなく、ただのサッカー観のあれこれ書くという相変わらずの自己満〜。m(_ _)m


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今回のW杯、ズバリ観れない
①テレビが無い
現在はエクアドルの首都キトにて、一軒家をお借りして暮らしている。テレビ購入が出来ないわけではないが、お借りしている家でアンテナやらケーブル設置等はしたくないし、つい最近まで自転車放浪をしていた僕達にはテレビより先に買い揃えなければならないものがある。
②子供が生まれる
男の子を5月中旬に出産予定である。もし、その1ヶ月後に赤ちゃんとお母さんを放ってその辺りのサッカーバーに連日連夜入り浸りでもしたら…。三下り半を叩きつけられ思わぬ形で、ロシアに辿り着いてしまうかもしれない。

という訳で見れない。
見れないのである。
何ということだ。
これはマズい。健康的にマズい。
1ヶ月、陽を浴びずに水が飲めないようなもんである。
我慢は良くない。
だから、この不遇を発散しようと負け惜しみ的にもう少し書くと。



ブラジルで観たからこそ、あんなに最高だったんだと思う。





W杯現地観戦のススメ
ブラジルW杯現地観戦者として言わせてもらうと、あなたがW杯に行ってみたいのであればそろそろ行っておくべきである。
どんな国際的イベントも、暫くしてから歴史を紐解き振り返ってみれば「嗚呼、一部の富豪の為のお金稼ぎだったんだな」と冷めた気持ちが混じってしまう。1994や1998年大会にブラウン管に映る選手や観客は勿論、警備スタッフからボールボーイまでありとあらゆる存在や色・音に感動を覚えた純粋さを持ち合わせていたことをブラジルW杯に行ったことで思い出す事が出来たのは嬉しかった。
W杯というイベントが有する魅力が唯一無二なのは確かで、あの人々の熱狂ぶりはほんの僅か限定的な時間と空間においてだからこそ圧倒的なレベルまで達することが出来るのは2002年の日韓W杯で記憶にしている人もまだ居るはずだ。



Before



After。アルゼンチンVSスイス、終了間際のメッシのゴールに覚醒する少年。


今年開催国のロシアが国際大会で好成績を残したのはソ連時代まで遡る必要がある。国民性はW杯開催成功の大きな鍵のひとつという点でも、さほどサッカー人気が高くもなく、世界中を旅した旅行者の間でも「警官が圧倒的に厳格」という国で果たして大会がどれほど盛り上がりまで達するのか疑問である。お祭りをお葬式に変えるような政治色の強いテロなども起きずに日程を終了することを祈っている。
とにかくそれでも、W杯に行くのなら今のうちではないか。
何せ2022年はカタール開催である。FIFAも自ら下した決定に後悔している声明を出しているのだから、ドンマイとしか言いようがない。蓋を開けてみなければ分からないが史上最低の大会になる可能性は高い。
そして2026年からは参加枠を48ヶ国に増やすことが発表されたばかりだがこれも大会の質を大きく下げるだろう。



ブラジルVSチリは、観てる方も疲れたわ〜



こういう写真を見ると、アルゼンチンには何回でも行きたくなるね。





大会を運営する側は既に”大会の質”などこれっぽっちも気にはしていないのである。
ある時、サッカーというスポーツの魅力にあやかりそこそこの利益が見込めることに気付いた権力者は、このイベントを通じてどこまで収益を上げられるかとう一点のみに知恵を絞っているのであって、何のサッカー熱も無いカタールで史上初の冬開催をすることに選手達が日程的な不満をぶつけても、2026年から参加国を増やし複数国による共同開催で運営面にトラブルが生じ観客が迷惑を被る可能性に例え事前に気付いていたとしても、そんなことはどうでも良いのだ。

1930年から続いてきたW杯は多くの人々を魅了してきたが、そのイベントを金稼ぎの商品としてだけ捉えている人達が今まさしく商品の本質を悪いものに取り換えて更に高い値段で売りさばこうとしている。
これまでもそうだったのだろうが、権力者はこれからはより露骨に、反対意見など気にも留めずに決定を下していく。
それはW杯に限ったことではない。
自分の生活、身の回り全てがそういう風潮になっている。 そういう時代に既に突入していると認識をせざる負えないのである。


日本代表の限界
1994年に10チームでのプロリーグを発足させてから僅か20年そこらで3部のプロ化実現に迄こぎつけたのは、1945年以降急速な経済成長を遂げたという意味でも日本ならではという感じがしないでもない。それだけサッカー人気、そしてそれに伴う経済効果というのは近年日本の大きなトピックとも言えるのだろう。
そういう時代にサッカーに熱狂出来たのは本当に本当にラッキーである。
もう超ラッキーなんじゃないか。
良い時代だった。ドーハの悲劇も1994年のRバッジョも、ジョホールバルの岡野も2002年自国開催W杯のどれもが鮮烈な想い出だ。

その熱に浮かれて僕も気付くのが遅れたが、日本代表は既に長い低迷期に入っていた。
具体的には2010年。ザッケローニ政権下でアジアカップ優勝したのを境に今も下降線を辿り続けている。
①地理的に日本は列強国から遠く離れたところに位置している。
自分達の遠征にも費用は馬鹿にならず、南米やヨーロッパの強豪国はいずれも来日に15〜25時間のフライト要する国ばかり。長旅の末に着いたアジア最東端の異文化に溢れた国。約5日滞在している間に、時差ボケを抱えながら歴史的にも何か特別因縁めいたライバル心も沸かない礼儀正しい日本代表を前にして真剣に向き合う可能性はゼロである。

②アジアという文化・言語的にもひとまとめにし難い広域におけるレベルの低さ
メキシコやコスタリカなどの北中米地区が強いのは、大雑把ながら一言でいえば南米に近いから。そしてアフリカ地区は、少なくとも日本よりはヨーロッパに近いのが近年の目覚ましい躍進の要因といえるのは、今回のW杯出場国アフリカ枠に北アフリカのモロッコやエジプトが名を連ねたことからも明らかである(近いが故の?植民地時代の影響も当然色濃いが)。
ここで言いたいのは、南米ヨーロッパのみならず、北中米やアフリカ各国も他地域への遠征はそんなに難しいことではなく高いレベルでの練習試合も現実的であり、それによって地域大陸のレベルは自然と底上げされて今の好成績に繋がっているのである。
サッカー後進地域のアジアにおいて、日本という一国のみが強くなることは100%有り得ない。代表の好結果を望むのであれば、近隣の韓国や中国は勿論、イランからサウジにインド、タイからフィリピン・インドネシアにオーストラリアまで総出で連携してアジア全体のレベルの底上げを図って初めてW杯で更なるステップを踏めるのだ。
W杯でひとつでも多く勝ちたいのなら、それこそが本当にしなければいけない課題なのだけれどそれを達成するには相当な忍耐と時間を要するだろう。はっきり言って無理だろう。

前述の通りW杯が48ヶ国制になれば、日本は出場権獲得に今までのように苦労する必要はないかもしれない。がしかし、それ以上は望めない。


2014年のコロンビアに敗戦した時に直感的に気付かされたことを改めて書いてみた。
日本代表は今まさしく、頑張っても頑張っても思い通りにならない負のスパイラルに陥っている。その解決策の糸口を見つけるのは非常に困難だ。それが理解出来たとしても実行に移すとなると気が遠くなるだろう。面白半分で奇をてらった策に賭けるくらいか即効性のある戦略は無いだろう。
応援はしているが、全く期待はしていない。


2018年大会展望

窪寺解説者の大会予想。スペイン優勝希望。

大事なポイントはいつも一緒、全ては初戦!!
初戦が全て!
終わり良ければ、じゃなくて初戦良ければ全て良しです。
強豪国も弱小国もこれは変わらないセオリー。日本は2・3戦目の対策とか練る前に初戦コロンビアに国力全て注ぐ気兼ねで挑めば、短期決戦あとは自ずと好ムードが連鎖していくんですけれど。グループ全日程を踏まえてあーだこーだ、言っている内は駄目でしょうね。(2010年に初戦黒星の末に優勝したスペインは超例外的ですね。)
日本はグループリーグ敗退、が僕の予想です。

以上、今年W杯が観たくても叶わない人のサッカー論と大会展望でした!
次回のブログは…とりあえずこまめに南米エクアドル情報を更新するのは、また4年後を目標に!




















2018/01/10

あっという間のエクアドル1年目


◆当ブログタイトル変更のお知らせ◆
2014年から書き連ねてきた当ブログ、主に自転車旅行記としての役割を担ってきました。2017年3月となり僕達は旅行を続けることから”南米に定住”しようとシフトチェンジするに至りましたので、ここでタイトルを「TERRA〜窪寺夫婦の自転車放浪記、そしてエクアドルに暮らす〜」と更新させて頂きます。
ブログは異国の地に憧れる皆様の旅情を掻き立てる充実した南米エクアドル情報満載&けれど更新はW杯並み4年に1度ペースになるかもしれませんが末永くお付き合い下さい。
今回も気付けば…ほぼほぼ1年振りの更新となる訳でこの記事は2016年3月迄遡りますが、それからエクアドルにしがみつく僕達を今日まで温かくサポートして下さったDavid、戸高さん、田辺さま、内田・高橋さま、日本大使館の皆様初め全ての方々に感謝しております。来年というか今年2018年は少しでも早く生活の基盤が固めることが出来ては皆様に早く恩返しが出来たり、少なくとも安心してしてもらえるよう頑張っていきたいです。


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2017.3/21
3/10。Lima到着目前というところでHuariを失い失意の中、旅を続ける気力はもう無かった。しかしこのまま日本に帰国して納得出来るのか。
混乱気味のまま出した答えは「Ecuadorに戻る」。豊かな自然に包まれ素晴らしい想い出の連続だったEcuadorに焦点を絞って南米で暮らしていくというのが何よりShizukaの答えであった。
Lima空港から飛行機で、約3ヶ月掛けて走ってきた2000kmを2時間で逆戻りすると21日深夜1時にQuito空港到着。残り滞在日数は18日と告げられ観光ビザの延長申請が第一だ。

それに「Ecuadorで暮らす 」といっても、何の当てもない。

空港内で自転車を組み立てている内に空も明るくなってきた。カフェで早速wifiを掴んで「エクアドル キト 日本人」みたいな感じで検索してみるとQuitoにてお好み焼き屋の起業目前という日本人、戸高さんという方のBlogを発見。直ぐにメッセージを送りコンタクトを図る(並行してバナナ農園を経営されている田辺さんという方にもメールを送っている)。
その後空港から、昨年の滞在でお世話になったDavid家まで自転車で移動する最中、今日この瞬間で一先ずこの自転車旅は終わったのだと実感し少し泣けてくる。


3/23
お好み焼き屋を開業し資金を上乗せさせ、将来的にエクアドルにもっと日本人を呼び込むような事業を実現していきたいという戸高さんとこの日に初めてご挨拶。



スペイン語圏も流暢で、僕達の観光ビザ延長申請も手伝って頂けるということで10 de Agosto添いのel ministerio a la reraciones extranjeros(外国人対象の省庁=外務省??違うか) に同行して頂ける。
el certificado de movimiento(エクアドルに居ますよ、みたいな証明書)とantecedentes penales(エクアドル国内の犯罪履歴証明)が必要といわれ、その足でバスを乗り継ぎAv.amazonas沿いel migracion(移民局)へ向かうとel certificadoは即発行出来たもののantecedentes penalesはパスポート情報をコンピュータシステムに登録する為に数日を要するということでこの日のビザ申請には至らず。5日後に登録完了&印刷可能ということ。
しかし、ここから日本と南米間の違い謂わば"南米の緩さ、だらしなさ"を痛感することになる。
※奇しくもこの時期Ecuadorは大統領選の真っ只中&ビザ関連からあらゆる現行の法律が全面的に改変されたばかり。その上Venezuelaからは国の経済破綻に本当に多くの移住希望者が僕達と同じ列に並んでは…通常2週間で済むと聞いていた手続きが結果的には2ヶ月も費やされるという!

それが日記形式で以下に羅列されているという今回の主な内容です。



3/28
5日、6日経過してもパスポート情報登録は未完とのこと。何せこの時点ではビザ期限が切れる前に更新しなければいけないと律儀に思い込んでいるので早くしてくれよと切実な訴えも届かず。

4/3
全ての必要書面を揃え早朝6時30分からel ministerio前の長蛇の列に並びvisa申請。
2週間程でメールが届くと聞いていた通りの返事をもらうが…。

4/14
やはり一向にメールは来ない。窓口に行ってみると「あと2週間待つんだ」とさ。

5/1
改めてEl ministerioへ。今回は窓口を通過し案内された3階にて1時間程順番待ち。用件を伝えるとコンピュータ画面の手続き待ち名簿一覧を照会され貰った返答は衝撃の「1・2ヶ月先になる」…マジか。

5/17
「観光ビザが下りた」とのメールが届く!受け取りは明後日。

5/19
visa受け取る。支払い100ドル。

5/23
empadronamientoという証明書申請&支払い10ドル。発行は明日らしく、また来なければならない。

5/24
指定時間から1時間半待機させられた末「今日は案件が多すぎて無理、渡せない」と言われとうとう私ともきの堪忍袋が公衆の面前にて切れてしまう。代表者を呼び出し「バス代返せ」とか「仕事を抜けてまでして指定時間に集合してきているんだぞ」とか散々怒鳴り散らす。受け渡しは5日後月曜を指定される。

5/29
この日も「おたくの、どこにも無いわ」とか言われるもんで怒鳴りつけて催促しまいました&とりあえず欲しいものというか必要紙面回収成功。

5/31
現地の銀行口座開設を図る為にそれに必要な条件&紙面を事前に何度も確認した上で、この日窓口に向かってもその場になって初耳のことを要求され結局持ち越し。

6/1
仕舞いにはお手持ちのビザでは口座開設は不可能と6つの銀行を渡り歩くハメに。el ministerioに再確認すると「それは銀行員の無知だ。観光ビザでも開設出来るから頑張るんだ」というムチャクチャな励ましを頂いた後に何だかんだ口座開設に至る。

6/3
実は観光ビザ延長が済み次第、一旦日本に帰国する予定でいたものの、様々な条件を考慮してはこのままエクアドルに滞在しながら就労ビザ取得に向け働き続けようという方向に切り換える。
就労ビザにも様々な枠組みがある中、僕は「レストランオープンに於いて日本からの招致すべき技術者」という名目、そしてShizuka はその扶養家族というビザを申請することに。数多ある必要書類のなかには戸籍謄本と僕の調理資格を公的な翻訳化し且つアポスティーユ=日本の官公署や自治体等が発行する公文書の外務省証明が成されたものが含まれるものの、これがエクアドルに居ながら日本の代行会社に委託可能ということで即問い合わせる。

6/5
エクアドルの日本大使館にて指紋採取後、犯罪履歴証明申請。これが2カ月は掛かる。観光ビザ延長時とは異なり今回の就労ビザは現在のビザ期限8/17迄に申請しなければいけないということで、かなりの賭けである。

6/6
銀行口座カード受け取り。

6/9
戸高さんのお好み焼き屋「Yaki Sensei」晴れてオープン。




6/13
再入国してから早3カ月。しかし何を隠そう未だ僕達はDavidの家に間借りしているのだ…。
この日、Quito に長く住まれている高橋さんから紹介して頂いたシェアハウスを下見&人生最短の即決事となる。1週間後には引っ越そう。




6/14
アポスティユ代行会社に依頼した書類が日本から手元に届く。あとは犯罪履歴証明を待つばかり。

6/19
シェアハウスに引越し。

6/27
弁護士によると、最近5年間の内に住んでいた国の犯罪履歴証明、この場合Canadaのそれが必要になってくるとのこと。Ecuador のCanada 大使館は本国の警察のHPを紹介するのみだったので、日本大使館にて改めて指紋採取してもらい探し当てたCanadaの代行業者に委託してみる。→結果的には不要であった…。

7/5
今回の就労ビザ発行に伴う弁護士への委託正式契約。

7/28
申請中だった日本の犯罪履歴証明が届く!

8/9
弁護士と共に6 de Diciembre側に移動したel ministerioオフィスに就労ビザ申請し結果を待つ。

8/12
ここまでお世話になっていた戸高さんと、しかし仕事面に於いて関係が悪化しては雇用契約解除となる。
※しずかは店に残ることに。申請中のビザの必要書類には当然会社との契約書等含まれているので、それ考慮した店側の温かい配慮には感謝しなければいけない。

8/24
Tomoki、エクアドル日本大使館の臨時職員の求人に募集。

8/30
就労ビザが認可され、これにて向こう1年間の滞在&労働許可が下りる。
Tomoki のビザ→400$
SHizukaのビザ→200$
弁護士への報酬→1112$
弁護士曰く、これから15ヶ月間滞在満期で僕達には半永久的な滞在許可が下りるらしい。具体的な数字を前に瀕死状態のTomokiも少し息を取り戻す。

9/8
大使館の求人採用筆記試験に取り組むも落選。その他レストランに履歴書送付するも連絡無し。




レストランを離れてからはお弁当配達の仕事を頂き、何とか食いつないでいる今日この頃です。

9/17
Tomoki、Davidと共に自転車小旅行に出掛ける。

9/24
出掛け先で、Shizukaから妊娠した可能性が高いと報告を受けては旅先からquitoに戻る。

12/15
Tomoki、相変わらず職にも就けずこの余った時間を有効活用しようと自動車学校へ通い出しエクアドル自動車免許tipo B取得。


車購入はいつにになるやら…。


クリスマスもDavid達と。


そんなんこんなで、あっという間に大晦日。


恒例のel año nuevo(年明けに火をつけて燃やして祝う為の人形)がそこら中に。


女装して車を停めて小銭をせびる。結構、皆んな笑いながらおかねを落としていくのでわからんもんだ。


来年の今頃も仕事無かったら、覚悟しておこう。

◆というわけで、激動波乱?急展開の連続となった2017年でした!◆









2017/03/21

No Direction Home 〜Peru vol.6〜

2014年6月11日、南米Brazilからスタートし一旦は中断せざる負えなかったこの自転車放浪もCanadaから再びスタートしてはPeruのLima迄順調に進んでいた。

海外旅行保険の期限を踏まえてこの旅も残すところ3カ月位だろうな、と見据えていた最中に出逢ったHuariというかけがえのない仲間、いや家族を失ってしまい僕達は途方に暮れた。


どうして日本を出たのか。
どうして旅し始めたのか。
どうして自転車を漕ぎ始めたのか。
何がしたかったのか。
そしてこれから何がしたいのか、何が出来るのか。

途方に暮れながら自問自答した。

そして今、僕達はもう一度Ecuadorに行くことに決めた。

多くの方々に支えてもらったこの南米の地でやっていく方法を見つけ出す為に。










2017/03/14

ごめんなさいHuari 〜Peru vol.5〜

一緒に旅していた犬のHuariが車に轢かれて死んでしまった。
3/10、道の途中で自転車を留め休憩しようとした際に、Huariも少しカゴの外でのびのびさせようと自転車から降ろした。その直後に浜風がその辺に落ちていたビニールのゴミ袋を巻き上げてHuariはそれを追いかけて道路に飛び出してしまった。

一瞬の出来事だった。
例え一瞬でも、何も分からない幼き子から目を放してしまった僕達の責任だった。しかも車が勢い良く走っている道端で。

僕達が、殺してしまったのだと認識している。

Huariが僕達のテントに潜り込んできた日から最期の日まで僅か11日間だったというのに、彼女は僕達の旅の目的や、感情や目線といった全てを変える存在となっていた。旅が今迄で最も面白くなってきていた。
彼女に逢う為にここまでやって来たのかもしれない。
だから彼女を失った今、世界はまた変わって見えてしまう。

家族を持つことは人生の喜びも責任も増すんだ、ということを今更ながら気付かされた。
未だにそのことを分かっていなかった。

何て取り返しのつかないことをしてしまったのだろう。
もっともっと一緒に居たかった。
本当にごめんなさいHuari。















Cajamarca〜Lima 24日間1254kmの記録〈後〉〜Peru vol.4〜

アメニモマケズ
カゼニモマケズ

恐るべしPeruの山間部はえげつない急勾配に激しく曲がりくねった九十九折ばかり。
頂きから谷底まで落ちるように下って川に架かる橋を渡っては一気に1000mアップするような過酷なアップダウンが毎日のように僕達を試してくる。

それでも、少しずつでも
何があっても

自転車で前に進む
The Long and Winding Road


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2/27/2017 【Yanama→San Luis 44.27km】




土砂崩れで立往生する車を横目に自転車を押し進む。







2/28/2017 【San Luis→Huamantanga 47.39km】


膝の痛みが悪化して、もう漕げない…やるせなく座り込む。



目的地にはたどり着けなかったけれど、手前の集落で丁度良い雨避けを見つけて一泊出来るることに。夕食時に現れたガリガリの子犬は、テントのアウターとインナーの間で一晩暖を取っていた。







3/1/2017 【Huamantanga→Huari 11km】


昨夜の犬、あんな細こい足して走って付いてくるから運んじゃえ!!


連日続く、無数の尖った石コロで溢れたダート道に我慢も限界まで来ていたがパンクもしないまま無事にHuariに到着。
勘を頼りに地元の人達と交渉している内に、無料で部屋を貸してくれるという人に辿り着く。数日滞在&休養する予定だったのでこれは有難や。


部屋を提供してくれるという友達を紹介してくれたMoryさん。日本で4年間仕事をしていたという彼は僕達がこの街滞在中は毎日ごはんを奢ってくれた。




3/2〜3/2017 【Huariでひと休み】

しかしまたしても"ブレーキ問題"。Cachicadanに引き続き今回は後輪。ブレーキレバーを締めるとそのまま戻ってこないのでパーツを解体してみるとバネが真っ二つに割れてしまっていたという事でこれにはお手上げ。
ここからはこのまま内陸部を走り、Huancayoというそこそこ大きな街のどこかに自転車を預かってもらいバスに乗り首都Limaへ向かう(僕のパスポート延長申請の為)というつもりでいたものの、一刻も早く壊れたブレーキパーツを見つけるべく急遽直接Limaへ進路を取る様に予定変更。
首都迄の約500km(おそらく10日間程)、僕は片輪ブレーキのまま走行することに…。







3/4/2017 【Huari →温泉横 約42km※メーター故障の為、詳細不明】

Huariでは宿代も掛からず、美味しいもんもご馳走になってチョコっと公園で演奏。
Shizukaの膝もある程度回復したということでいざ出発!…あの子犬を自転車に乗せてね。
という訳で数日前から一緒だった子犬が「一緒に旅したい」ってお願いしてきている気がしたので、思い切ってShizukaの自転車の後ろに乗せて暫くの間進んでみたいと思います。
名前はHuariです。よろしく










この日はChavin de Huantarという村の外れにある温泉へ。


入浴中はしっかり外で待ってくれるなんてお利口なこと。





3/5/2017 【温泉横→Catac 約65km】








女の子でもガッつきますよっ






何とか今夜も雨は凌げましたな。





3/6/2017 【Catacを出発するはずが大工さんと1日過ごす】













3/7/2017 【Catac→ 約112km】


何だかもう、この子に夢中で自分達や周りのことなんかど〜でも良くなってきた。




箱が良い具合の高さになって首が乗るわ。




こんな愛くるしい存在が旅に付いてきてくれるなんて!!





3/8/2017 【→ Barranca 約70km】


最初はあんなに怯えていたのに、どんどん元気になっていくね。









3/9/2017 【Barrancay→El Paraiso 約58km】


今日も頑張ったね。









3/10/2017 【El Paraiso→Chancay 約57km】

昨日の野宿地を朝早く出発。まだ風は弱い。

少し走って時刻は8時52分。休憩しようと自転車を留めた。

ほんの一瞬だけ、カゴから道に下ろしたHuariから目を放した隙に彼女はいつの間にか道路を横切って対向車線側を歩いていた。

「マズい」と僕達は顔を見合わせ、反射的に彼女の名前を呼んだ。そして彼女も反射的に僕達の方を振り返っては二・三歩こちらへ近寄ってきた。

名前を呼ばなかったら、道路を渡り切っていたかどうかはわからない。

とにかくそれによってより道路の真ん中に位置してしまったHuariは次の瞬間、鈍い衝突音と共に車に轢かれその身体は吹っ飛び顔からは血を流していた。

Shizukaは咄嗟に彼女の名前を泣き叫び、僕は走って彼女を抱き上げたけれど、それしか出来なかった。

身体は左前足が折れている他は無傷で、主に頭部を強打したことで鼻と口からの流血は止まらなかった。
何が出来るかと色々な可能性を頭の中で駆け巡らせたけれど、結局は死んでいく彼女を見届けることしか出来なかった。

彼女を離したくなかったし、彼女から離れたくなかったけれどその場に座り込んだ僕達は何とか冷静に現実を受けとよめようと努力し、泣き咽びながらHuariの身体を衝突地点の横の砂浜に埋めた。

もっと一緒に居たかった。
彼女の身体を持ち帰りたかった。

とてつもなく大きな後悔の念に苛まれ始めていた。





3/11/2017 【Chancay→Lima 約57km】

Huariに出逢い、Huariを失ってLimaに到着することになった。